07 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 09

それいけ!ドクターヘリ

高知医療センターでの日々と思いを、アンパンマンと高知の写真と共に綴る高知ドクターヘリのブログ

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Posted on --/--/-- --. --:-- [edit]

category: スポンサー広告

TB: --    CM: --

--

「俺と一緒に夜から働かんね?」 

当院は海上保安本部でいう第5管区の太平洋側の最前線にあり、また以前から病院ヘリポートを有していたので連携がしやすかったために、いわゆる洋上救急があった場合には収容要請の連絡がよくあります。

本日は当院救命救急科のローテート研修医から、事案報告していただきました



「俺と一緒に夜から働かんね?」
こんな電話が入った。繁華街を歩く黒服のお兄さんから、ではなく、我が高知医療センター救命救急科のボス、喜多村先生からだった。時刻は20時半。
「大窪ちゃん、今何しよると?」即座に、集団感染?複数傷病者の事故?ICUで急変?・・・まさか飲み会??等と頭に浮かんだ。少し緊張しながら話を聞くと、太平洋沖の漁船に腹痛を訴えている患者さんがおり、明朝の日の出に合わせて救助に行くがどうか、というものであった。

僕が研修を初めてはや2年が経とうとしており、そのうちの6ヶ月間つまり1/4を救急科で過ごしているのだが、洋上救助は案件自体が少なくいつも見送る側で、同乗させてもらえる機会などこれが初めてだった。
当然答えはYesだ。

「じゃ、3時半集合ね」
急いで夕食をとり帰宅、就寝を試みる。救急の現場は患者さんがいつ来るか分からず、寝ておける時に寝ておくのが大事である。「はい!すやっと寝てシャキッと起きてこい」学生時代に救急科の指導医に当直の際言われた言葉だ。これがようやくできはじめたと思っていたが、この日はなかなか寝付けなかった。期待と緊張の両方を感じた。

2時半起床、眠い目を熱めの風呂でこじ開けて、3時半病院集合。
3時45分には高知海上保安庁の方が病院に迎えに来て下さった。今回の事案は海上保安庁と海上自衛隊の合同作戦だと聞いた。
「マルヨンマルマルジ、医療センター出発。」
つまり4時ちょうど、定刻にて医療センターを出発し、自衛隊の待つ高知空港へと向かう。道中聞いた話では、今回搭乗させていただくのはUS-1というプロペラ機で、喜多村センター長も初だということだった。自分にとっても最初で最後となるかもしれない。
そんなことを考えてる時、目の前の上空を大きなものが遮った気配がした。

それは岩国基地から飛来してきたUS-1だった。

空港に到着し、いつもは通らない道を進み、いつもは入らない建物に入る。自衛隊からの要請により空港は全機能を活かせる体制で人員の招集がされたようである。官制のモニターにはすでに待機しているUS-1が見える。想像していたのよりだいぶ大きい。横に並ぶ一般旅客機のプロペラ機と同じ程度に思えた。実機を見て、より緊張したのは言うまでもない。

DSCF5448.jpg

明らかに旅客機のそれとは違う、実用性のみを追求したタラップをよじ登り機内に入る。途端、ピリッとした空気を感じる。機内は赤色灯の薄暗い灯りに照らされており、ふと昔見た戦争映画を思い出した。違うのは映画館の柔らかい椅子でなく実用性を追求した固めの椅子であり、いまから実際飛ぶというリアル感だ。

機内をキョロキョロ観察する間もなく、即座に自衛隊員の方と打ち合わせが始まる。現場での救助と初療などの手順、行動の整理、空港に帰ってからの患者さんの引き継ぎ方法など。この段階では患者さんをどう下ろすかは複数候補があり、まだ決められてなかった。
「その辺は臨機応変にやりますから。」
という自衛官の言葉は非常に頼もしかった。幾度とそんな現場をこなされてきたのだろう。

現場となった足摺岬から数百キロの地点までは普通のプロペラ機のような乗り心地であった。機内では普段は明らかに立入禁止区域であろう箇所や計器類がたくさん目に入ってきた。1時間超のフライト時間中ずっと何らかの確認などの仕事をこなす自衛隊員の方々。
僕は少ない情報源から傷病者の状態を想像し、処置のシミュレーション、そして持参してきた資器材のチェックをしたりしていた。現場海域まではあっという間のことで乗り物酔いになる間もなかった。かなり緊張していたのかも知れない。

現場海域は着水可能かどうかの瀬戸際くらいの荒れ模様だそうで、ずっと旋回しながらポイントを探した。打ち合わせでは、着水できなければ一度引き返して海上保安庁のヘリで再度向かう手はずだった。患者さんの状態が詳しくわからないだけに着水と早期の接触を願った。

「着水を試みます!一度目は確認して、二度目で着水しますから!」
大きな声が聞こえた。一度目の確認では窓ギリギリに水面が見え、二度目で着水した(と思った)。感じたことのない大きな衝撃にびっくりしながらもホッとした瞬間、その後も次々と同じ衝撃を体感する。

思い出したのは小学生の頃に鏡川でよくやった「水切り」だ。なるべく丸く平たい石を探してサイドスローでやるあれである。
ちょうどそのような感じで何度か揺れたあと波間に揉まれる船のようになった。海は確かに荒れており、普段乗り物酔いしないタイプだと思ってたが、ほっとした次の瞬間にはしっかり嘔気に襲われていた。
着水後、機内まで救助してくるまでは僕たちは手を出せるシーンではない。…しかし嘔気は激しくなってくる。救助ボートの用意等で慌ただしくなる機内で傷病者を増やすわけにも行かず、また患者さん救助後に少しでも役に立つよう、このときは目を閉じ回復体位をとって患者さんの到着を待った(・・・なので、患者さんが運び込まれるまでは分かりません・・・)。

患者さんは前日の昼より腹痛を訴え海上保安庁に救助を要請していた。
バイタルサインのチェック、腹部の診察、超音波検査を迅速に行う。腹膜炎の疑いがあると判断し、輸液と抗生剤を開始すべく滴ラインの確保を試みる。やはり揺れる機内での静脈路確保は難しかったが成功し、治療開始しながら離水し、雲間から射す朝日のなか高知空港を目指す。

空港では南国消防隊が待機しており引き継ぎを待っていてくれた。US-1はハッチの位置が高く患者さんが寝た状態では下ろせないので、担架に固定し、ロープと滑車で下ろす。海上自衛隊のその迅速で淀みのない行動は、本当に日頃の訓練の賜であると感じた。

「ありがとうございました。お疲れ様でした。」
そんな言葉をかけていただいたが、今の自分にはまだおこがましい感じがした。でも、いつかこのようなかけがえのない仕事をしたいと思う。今回、一緒に救助活動をさせていただいたのは光栄であったし、普段目にしない海上自衛隊活動を間近で体験でき、身の引き締まる思いであった。

この場を借りて・・・今回、このような非常貴重な体験をさせて下さった喜多村センター長、同行を許可して下さった岩国海上自衛隊の方々、様々なサポートをして下さった海上保安庁・南国消防隊・高知空港の関係者の方々、本当にありがとうございました。
関連記事
スポンサーサイト

Posted on 2015/03/09 Mon. 19:43 [edit]

category: 事案

thread: 高知(土佐)  -  janre: 地域情報

TB: 0    CM: 0

09

コメント

Comment
list

コメントの投稿

Secret

Comment
form

トラックバック

トラックバックURL
→http://drheli.blog55.fc2.com/tb.php/518-1ae30339
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

Trackback
list

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。