08 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 10

それいけ!ドクターヘリ

高知医療センターでの日々と思いを、アンパンマンと高知の写真と共に綴る高知ドクターヘリのブログ

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Posted on --/--/-- --. --:-- [edit]

category: スポンサー広告

TB: --    CM: --

--

高知から祈りを込めて 

DSC_0433_convert_20130311130624.jpg
様々な想いとともに、あれから2年が経過しました。
震災の翌日に初出動を迎えた高知県ドクターヘリも、その年月とともに高知での救急医療を支えてきたわけですが今年度の出動件数は400件を超えています。
高知だけではなく全国各地のいろんなヘリが救急医療に役立つようになりましたが、その使い途はまだまだ発展の余地があります。高知では南海地震が起こった場合に備えて減災活動が急ピッチで進められていますが、ヘリコプターの使い方も普段からどんどん広めていければと思っています。

当直明け、今日のために少し早めに咲いた桜の樹の下で黙祷し、祈りを捧げたいと思います。
スポンサーサイト

Posted on 2013/03/11 Mon. 13:22 [edit]

category: 東日本大震災

TB: 0    CM: 0

11

東日本大震災4(終) 

引き続き、震災における高知県ドクターヘリの活動をお送りしています。

3月14日早朝は、駐機している花巻空港に霧がかかり、ドクヘリたちがたたずむ幻想的な風景でした。
朝靄にたたずむ

でもフライト開始までには霧は晴れ、活動ができるようになりました。
ドクヘリ活動3日目です。
高知、愛知、群馬、旭川、八戸、埼玉、岐阜amが活動するものの、
ほかのドクヘリは帰還しはじめるところがあるかも、ということ。

高知はこの日はフルで働く予定でした。
釜石から花巻へクラッシュ症候群1名
宮古から盛岡へ骨盤骨折1名の搬送を終え、いつの間にか昼をすぎて14時に。
山間部は気流が悪いのか揺れに揺れて、ヘリ酔いに耐えながらの搬送となりました。

3/14
【校庭に4機のドクヘリが整然と】

3/13
【沿岸部被災地の様子】

3/13
【山火事があっても防災ヘリは関われずにいました】

この日の全体の搬送は14件であったそうです。
ここまでで群馬、高知、旭川の三機しかいつの間にかいなくなっていました。
そしてたくさん集っていたDMATもこの日を境に帰る隊が2/3以上となりました。
DMATは災害急性期に活動する、という認識で派遣されてきており長期間の活動は念頭におかれていません。
入れ替わりでの派遣も考慮されていたところもありました。

また、じつは夕方から天候が崩れて数日間、空港に缶詰になりそうな予想となっていたようです。
ドクヘリのみなさんも、早めの帰還を決断されていました。
高知はどうするのか?

被災地のことはだいぶ気にかかっていましたが、
天気と高知県でのドクヘリ活動を考慮して、帰ることにしました

夕闇が迫っていたので1時間でテントを撤収して荷造りし、
残っていたDMATの皆さんにもお別れを告げて、高知へむけて離陸。
途中で一泊して翌日の夕方には高知へ無事帰還しました。

今回の被災地での経験は、高知県で南海地震発生時にも生かされるであろうと感じました。
しかし津波の被害は予想以上に甚大で、いまの災害救護計画の見直しが急務であると焦ることになりました。

ドクヘリ運航後の初飛行は、就航式までキャンセルしての災害派遣となり、
県知事はじめ、関係機関の皆様にはご迷惑をおかけしました。

ドクターヘリの今後の活躍にもご期待ください。

DSC01314.jpg
【花巻空港でお世話になった北日本航空さんと】

Posted on 2011/04/15 Fri. 20:39 [edit]

category: 東日本大震災

TB: 0    CM: 0

15

東日本大震災3 

振り返りで震災における高知県ドクターヘリの活動をお送りしています。

3月13日朝、活動開始です。
前日は早く就寝したので朝も早く起きることができました。
朝ご飯を手早く済ませ、整備士さんの体調を気にしつつアンパンマンのアタマをなでて、一日の安全のをお祈りします。

このヘリが駐機している花巻空港は岩手県の中でも内陸であり、
地震の影響で電気は止まっていたものの、津波の影響はなく空港自体は使用可能でした。

地震被災地におけるドクターヘリ活動。
どのような内容で活動できるのか、まったくわからないままに準備し、ここまで来ていました。

持参した医療資機材は、最初の積み込みではSCUのDMAT資機材を想定していましたが、
ヘリの中に入らないことがわかり、ヘリ搬送専用ミッションのための資機材にきりかえてきました。

ヘリ隊の打ち合わせに加わります。
この日は合計6-7機のドクターヘリでの活動になりました。
ヘリによる主なミッションは被災地沿岸から、この空港あるいは盛岡市周辺の病院までの転院搬送でした。
自衛隊ヘリや消防防災航空隊ヘリ、警察ヘリも、もちろん活動していました。

3/13

低体温・下肢感染症の方の転院搬送ミッションがかかりました。
大船渡病院からです。
付き添いの娘さんは自宅が半壊状態でついて行くことができず、見守られながら離陸することとなりました。
その心情は量りしれませんでした。

この後は資機材搬送に切り替わったため、
フライトドクターとしてはすることがなくなりほかのミッションを探すことにしました。

それは、十数機集結していた消防防災ヘリへの同乗です。
DMATはこの時点で多く集まっていましたので、そういう活動もいいのでは、というひらめきです。

高知県消防防災ヘリもこの空港にきていたため、隊長を通じて統括の岩手県消防防災航空隊へと紹介していただきました
これは、いままで構築してきた消防防災航空隊との連携があってこそなのだろうかと、とてもありがたく思いました。

すると間もなく、高知県消防防災航空隊・山崎隊長の斡旋で、妊婦さんの出血性ショックの搬送が入りました
同乗させていただくのは北海道の消防防災ヘリBell412EP「はまなす2号」です。
この時点ではまだDMATが防災ヘリに同乗する許可が花巻空港統括DMATからおりていませんでしたが
DMAT調整員に連絡して許可をとりつけつつ、防災ヘリのもとに移動します。
DSC01260.jpg

ドクターヘリとは違った余裕のあるBellの機内スペースに驚きながら乗り込みます。
そして離陸。
引き継ぎ場所へは難なく到着。
避難所の公民館に傷病者がいるとの情報でした。
実際には、お目当ての方はすでに自衛隊機が搬送しており、もうひとり発生した意識障害の傷病者を搬送することになりましたが、
災害時はこのような柔軟な対応が求められます。
北海道消防防災航空隊のみなさん、お世話になりました

高知県ドクターヘリのほうは、というと大船渡病院からの資機材搬送が1件あり、これで活動終了となりました。
他にも石巻赤十字病院の情報収集のミッションがあったのですが、
石巻の女川原発で放射能が観測された、との放射能漏れの危険に関する情報もきていました。

被爆の可能性と危険性、それと相反する被災地での需要。
悩みどころでしたが結局はDMAT本部からそのミッションのキャンセルがかかり、行くことはありませんでした。
放射能漏れの情報は結局は誤報でしたが。


一日の活動が終了しましたが、「搬送件数が少ない」、と感じました。
被災地にはきっと、まだまだ搬送してほしい患者さんがいるのではなかろうか、
もっと有効な使い方はできないのだろうか、など。

…実際の津波の影響力を知ったのはその後のことでありましたが、倒壊家屋で怪我をした重症患者さんの多くは流されてしまったのでは、ということは、この活動中、じわじわ実感されてきていました。

しかし、このときはじれったい思いのほうが強く沸き上がってきていました。

またこの活動中、北日本航空さんには大変お世話になりました。
美味しいコーヒーから雨風をしのげる場所まで親切にしていただきありがとうございました。
この場を借りてお礼を申し上げます。

(つづく)

Posted on 2011/04/14 Thu. 10:47 [edit]

category: 東日本大震災

TB: 0    CM: 0

14

東日本大震災2 

CIMG0756.jpg

3月12日夜のこと、DMAT隊員として被災地の岩手県、花巻空港に赴いていた我々は、テント内で灯りを囲み、食事をとっていました。

食事はというと、
お湯をいれるだけのレトルトのご飯にサバなどの缶詰、バナナなど。
自給自足のDMATとしては、当然といえば当然の内容。

被災地の上空から悲惨な状況を目の当たりにしながらここまで飛行してきた直後です。
いろいろな想いがめぐり、次の日からの活動のことを思うと、自然に口数は少なくなりました。

まだ夜の8時を回ったばかりでしたが、お腹が満たされたところで、
寒さもあり寝袋に早々にくるまることに。
初めてのキャンプの隊員もいて、寝袋が意外とあたたかいことにみんな感動!
パイロットさんからもすぐに寝息が聞こえてきました。

しかし、ここで問題が。
点検してから積んだはずだったのに、寝袋をひとつ忘れてきてしまっていたのです
整備士さんは、自らすすんで、愛する機体のなかで一夜を過ごすことにしてくださいました…。

岩手の夜は寒いです。
そのことを忘れていました。

P3130238.jpg

翌朝、寒さで目が覚めたのですが、確認するとなんと氷点下6度。
整備士さんが心配でした。
聞いてみると、やはり寒く、眠ったらやばいと思われ、途中から起きていたそうです。
すみません
でも風邪などはひかなかったそうで、ほっとしました。

P3130244.jpg
朝食風景です。

ほかのDMATのみなさんを見かけなかったので、どこにいっていたのかと思いましたが、
翌日探索すると、空港横の公民館を統括が借りてくれていたようで、
雨風がしのげて暖房だけある、そこにDMATは雑魚寝していたとお聞きしました。

30-40チームのDMATが参集してきていましたが
結局、テント持参していたのはウチぐらいでした。
チョット意気込みすぎました

(つづく)


Posted on 2011/04/11 Mon. 14:31 [edit]

category: 東日本大震災

TB: 0    CM: 0

11

東日本大震災1 

2011年3月12日夕刻、我々は岩手県の花巻空港に降り立っていました。

おなじ高知県からはすでに日赤や近森病院などが震災当日に地上から出発し、
我々よりもはやく被災地入りを行い活動していたようです。
ドクターヘリは夜間飛行しておりませんので朝日を待って出発となりました。
そしてDMAT事務局から指示された行き先が、岩手だったわけです。

いくらアンパンマンといえど、長距離移動ではお腹がすきます。
12日早朝から岩手に向かう途中、3回の給油を行いましたが
その途中、見慣れた機体が給油場に飛んできました。

高知県消防防災ヘリ「りょうま」です。
仲良く並んで給油してもらいました。
行き先は結局、二機とも花巻空港でした。

アンパンマンとりょうま
りょうまとアンパンマン

12日夕刻、災害派遣のDMATのSCU(staging care unit)が展開された花巻空港にはすでにドクターヘリが集まりつつあり、消防防災ヘリも十数機集まっていました。
この時点でドクターヘリは合計6機ほど、ここにいたことになると思います。

ところ狭し
防災ヘリの間にドクターヘリが所狭しと並んでいます。

すでに夕刻が迫っており、この日の活動は終了。
われわれの隊長はすでに幕営準備にとりかかっていました。

ちなみにここでも高知県の話題が取り上げられています。
東日本大震災 ドクターヘリ、懸命の救出 | 公明党 ニュース公明新聞:2011年3月28日付

(つづく)

Posted on 2011/04/10 Sun. 11:18 [edit]

category: 東日本大震災

TB: 0    CM: 0

10

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。